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日: 2016年6月21日

ゼニスの時計を知ってもらうことが、なにより大切なのです

ジャン-フレデリック・デュフール ゼニス社長&CEO
1967年生まれ。ジュネーブ大学理工学部卒業。ユリス・ナルダンなどで時計製造や営業、マーケティング部門の要職を歴任。2001年にショパールの時計、ジュエリーの商品開発責任者を務め、2009年から現職。

雰囲気を味わい、その時間を楽しむゼニスの大使館

その日の朝来日し、そのままオープニングイベントへ。さらに数本の取材をこなしたというゼニスCEOのジャン-フレデリック・デュフール氏は時差もあり、さすがにお疲れのようだった。それでもクルマに話を向けるとニッコリと相好を崩した。なにしろデュフール氏は、カロッツェリア・トゥーリングの1956年製アルファロメオ・スーパーレッジェーラをいまも乗り回すほどのクルマ好きなのだ。

「先週末もドライブがてら妻とコンクール・デレガンスへ行きましたよ。息子もまだ小さいのですが、クルマ好きで、いつかは彼が僕のクルマに乗るようになるでしょう。男にとってクルマは永遠の玩具だからしょうがないですよね」

 

結局、父と子の違いは玩具にかける金額だけ、と楽しげに微笑む。そしてその魅力は時計とも共通するという。

「それは世代を超えて受け継がれるメカニズムであり、本物であるということ。もちろん実用性では、クラシックカーと機械式時計は現代のものに劣ります。しかしそれ以上の、代えがたい価値として喜びがあります。ゼニスもそんな一生を共に過ごす喜びを提供したいと思っています」

06/21/2016     0 Comments

薄さに込められた矜持──ピアジェ

薄型へのこだわりは熟成を重ね、さらに革新する

ピアジェ創業の地ラ・コート・オ・フェは、スイス時計産業のメッカであるジュラ山脈にあり、ヌーシャテル湖の西端に位置する。“羊の丘”の地名にふさわしく、のどかな丘陵が広がるこの地でピアジェは1874年に創業した。

以来、創業地を離れず、戦時中も一度も絶やすことなく同一家系で時計を作り続けてきた。老舗と呼ばれるスイスウォッチメーカーは数あるが、こうした歴史を歩んできたブランドはわずかに限られる。

 

現在のラ・コート・オ・フェ工房は、時計の中枢であるムーブメントの開発と組み立てを担う。多くの名作ムーブメントがここから生まれており、マニュファクチュール(自社一貫生産)を誇るピアジェの本丸といえるだろう。

 

10年前に訪れた時は、雪景色の中に風格ある工房が佇み、まるで創業期にタイムスリップしたような気がした。その印象は今回の工房内見学で、さらに強まった。もちろん生産設備は新しく、規模や技術は格段に進化したことはいうまでもない。しかし伝統的なクラフツマンシップは現代の時計師たちに受け継がれ、静謐なアトリエには創業者の志が変わらず満ちていることを感じたのだ。

「1957年に発表した手巻き式の薄型9P以来、薄型ムーブメントはピアジェのDNAとなりました。ここではトゥールビヨンや永久カレンダーのようなグランドコンプリケーションも製作していますが、薄型ムーブメントも同じ複雑機構と位置づけています。それだけ高い技術が必要なのです」と案内役のイブ・ボルナン氏はいう。ボルナン氏は45年の長きにわたってピアジェに勤務する生き字引だ。

「60年代からピアジェはジュエリーウォッチを手がけましたが、それも薄型ムーブメントがあったため。中身が薄い分、デザインの自由度と創作性が高まり、必然的に装飾技術も向上しました」

70年代に入るとクオーツ式時計が台頭し、スイスの機械式時計が壊滅的状況になった中でもピアジェがマニュファクチュールとして存続できたのは、こうしたジュエリーウォッチがあったからにほかならない。その歴史を通して薄型ムーブメントはピアジェの中核的技術になった、とボルナン氏。

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薄さに込められた矜持──ピアジェ

薄型へのこだわりは熟成を重ね、さらに革新する

ピアジェ創業の地ラ・コート・オ・フェは、スイス時計産業のメッカであるジュラ山脈にあり、ヌーシャテル湖の西端に位置する。“羊の丘”の地名にふさわしく、のどかな丘陵が広がるこの地でピアジェは1874年に創業した。

以来、創業地を離れず、戦時中も一度も絶やすことなく同一家系で時計を作り続けてきた。老舗と呼ばれるスイスウォッチメーカーは数あるが、こうした歴史を歩んできたブランドはわずかに限られる。

 

現在のラ・コート・オ・フェ工房は、時計の中枢であるムーブメントの開発と組み立てを担う。多くの名作ムーブメントがここから生まれており、マニュファクチュール(自社一貫生産)を誇るピアジェの本丸といえるだろう。

 

10年前に訪れた時は、雪景色の中に風格ある工房が佇み、まるで創業期にタイムスリップしたような気がした。その印象は今回の工房内見学で、さらに強まった。もちろん生産設備は新しく、規模や技術は格段に進化したことはいうまでもない。しかし伝統的なクラフツマンシップは現代の時計師たちに受け継がれ、静謐なアトリエには創業者の志が変わらず満ちていることを感じたのだ。

「1957年に発表した手巻き式の薄型9P以来、薄型ムーブメントはピアジェのDNAとなりました。ここではトゥールビヨンや永久カレンダーのようなグランドコンプリケーションも製作していますが、薄型ムーブメントも同じ複雑機構と位置づけています。それだけ高い技術が必要なのです」と案内役のイブ・ボルナン氏はいう。ボルナン氏は45年の長きにわたってピアジェに勤務する生き字引だ。

「60年代からピアジェはジュエリーウォッチを手がけましたが、それも薄型ムーブメントがあったため。中身が薄い分、デザインの自由度と創作性が高まり、必然的に装飾技術も向上しました」

70年代に入るとクオーツ式時計が台頭し、スイスの機械式時計が壊滅的状況になった中でもピアジェがマニュファクチュールとして存続できたのは、こうしたジュエリーウォッチがあったからにほかならない。その歴史を通して薄型ムーブメントはピアジェの中核的技術になった、とボルナン氏。

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